今回は、バスケ男子日本代表パリ五輪出場決定の立役者でもある比江島 慎(ひえじま まこと)選手。
そんな比江島選手を女手一つで支えた母・淳子さんは2018年に急逝しています。
比江島選手の母親は、なぜ亡くなったのか?死因や第一発見者について…
調べた内容を本記事でまとめましたので最後までご覧ください。
比江島 慎選手のプロフィール
- 名前:比江島 慎(ひえじま まこと)
- 生年月日:1990年8月11日生 (33歳)
- 出身:福岡県古賀市
- 出身校:千鳥小学校→百道中学校→洛南高等学校→青山学院大学
- 所属:宇都宮ブレックス
- ポジション:SG(シューティングガード)
- 身長:191 cm
- 体重:88 ㎏
- 血液型:O型
- 好きな食べ物:チキン南蛮、カレー
- 趣味:漫画、カラオケ、スラムダンク
- 好きな女性のタイプ:佐々木希・川口春菜(理想高っ)
特に今回のワールドカップで比江島選手の光ったプレーがこちら↓
比江島慎の家族構成
比江島選手の家族構成は、母・兄(章さん)の三人家族です。
父親については、幼い頃から母子家庭で育ってきたことから、亡くなったか離婚されたかではないかといわれています。
お父さんの写真がありませんが、目元や笑った顔がお母さんそっくりですね。
比江島慎の母親の死因は心臓発作!
母子家庭で育ってきた比江島慎選手にとって、かけがえのない存在だった母親ですが
2018年に心臓発作が原因で急逝しています。
2018年4月12日、母・淳子さんが急に亡くなったのです。死因は、心臓発作による突然死でした。
57歳という若さでした。
持病などはなく、本当に突然の別れだったようですね。
第一発見者は比江島慎だった!
ある日、『ごはん作っておくね!』とLINEが来ていて比江島選手が家に帰ると、台所で母・淳子さんが倒れていたそうです。
すぐに救急車を呼びましたが、もうその時にはすでに意識がなかったそう。
最愛の母の死を受け止めることができなかった比江島選手ですが、なんと10日後にはコートに復帰。
後に比江島選手は、
「泣きながら試合をしている状況ではありました。でも、お母さんは自分がバスケをしている姿を喜んでみてくれてたので、いつまでも落ち込んでいられないなって気持ちを整理しました。」
と語っておられました。
比江島慎は愛され・いじられキャラ
比江島選手は、チームの最年長33歳。
周りのチームメイトは、河村 勇輝選手(22)や渡邊 雄太選手(28)や富樫 勇樹選手(30)など、若い選手が多い中で、年下からも「まこ!」という愛称で呼ばれ、インタビューの際はよくいじられています。
チームメイトとの関係性がよ~く分かる動画がこちら↓
年の差を感じさせないいじりっぷりにこちらがヒヤヒヤするほど(笑)
しかし、ファンの間では、比江島選手のいじられ愛されキャラは有名な話☝
自他ともに認める、口下手でシャイな性格。
でもプレーでは魅せる。そんな比江島選手の凄さをチームメイトは知っているからこそ築ける信頼関係なんでしょうね^^
本当に人との壁を作らない、受け入れる姿勢を持ってるのが他の選手との関わりを見てると伝わってきます。
比江島慎と母親の思い出の場所
比江島選手は、今年5月ワールドカップ前にリフレッシュのため福岡に帰省していました。
その時に訪れたのが、「アクシオン福岡」。
ここは、古賀ブレイスに所属していた小学生時代、女手一つで比江島家を支えた母・淳子さんが仕事を休んで応援に駆けつけてくれた決勝戦が行われた体育館だった。
一度も勝ったことがない強豪チームを下して、全国大会出場の切符をつかむと、勢いそのままに全国優勝を達成!
「お母さんのパワーはすごいですよ!」と照れながら話していました。
「お母さんがあの決勝の観客席にいなかったら勝てていなかったと思う。今の僕があるのは、お母さんが見てくれた決勝で優勝したから。」
と語っていました。
比江島選手の伝説の始まりは、この体育館からだったんですね。
比江島慎と母親が歩んできたこれまで
幼い頃から働きづめだった母の代わりに、ご飯以外の家事は兄弟で分担していたそう。
兄弟二人をミニバスに通わせるため、とにかく身を粉にして働く子ども想いで素敵なお母さんだったんですね。
どんなに忙しくても、大事な試合の日には仕事を休んで毎回駆けつけてくれたようです。
そして、親子で長年の夢だった海外挑戦の夢が叶います。NBL(海外リーグ)オーストラリアへの移籍決定でした。
しかし、決定したのは、2018年の8月。母・淳子さんが亡くなった後の出来事でした。
2018年のシーズンMVPに選ばれた時のスピーチは、多くの人が涙しました。
淳子さんが常々口にしていたという「世界のために、子供たちのために、誰かのために」。
これは今でも、初心と周りへの感謝の気持ちを忘れない比江島選手の教訓となっています。
比江島慎が母親の墓前で誓った約束
淳子さんが亡くなった後、シーズンが終わるごとや節目がある度、お墓参りに来るという比江島選手。
「ここに来ると、力をもらえるというか。パワースポットで、帰ってきたなという実家みたいな大切な場所」と語っていました。
「4年前(のワールドカップ)は本当に何もできず、ダメダメでした。そのあと報告に来た時は、お母さんにかなり心配をかけたかも。今度は絶対に世界で1勝して、お母さんを笑顔にしてあげたいと思います!」と意気込んで、さらに続けた。
「沖縄に連れていって、(決勝トーナメントが行われる)フィリピンにも連れていきます!」
最愛の亡き母の墓前で、世界を相手にリベンジを誓ったのでした。
まとめ
今回は、【バスケ男子日本代表】比江島 慎選手を女手一つで支えた
母・淳子さんはなぜ亡くなったのか?死因や第一発見者について調べました。
パリ五輪出場に向けた予選で、比江島選手のプレーを見て感動と興奮が止まりませんでした。
そんな比江島選手の強さのワケは、母・淳子さんと歩んできた軌跡や突然の別れを乗り越え、
ただひたむきにバスケ一筋でやってきたからだといえますね。
今からパリ五輪が待ち遠しい!!日本みんなで一致団結して応援しましょう!!
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