男子バスケットボールで日本代表として活躍する比江島慎(ひえじままこと)選手。
実は、比江島慎選手は母子家庭で育ちました。
どんな家庭で育ってきたのか、親子の感動エピソード5つとともにご紹介したいと思います。
比江島慎のプロフィール
プロフィール
- 名前:比江島 慎(ひえじま まこと)
- 生年月日:1990年8月11日(33歳)※2024年7月時点
- 出身:福岡県古賀市
- 出身校:千鳥小学校→百道中学校→洛南高等学校→青山学院大学
- 所属:宇都宮ブレックス
- ポジション:SG(シューティングガード)
- 身長:191 cm
- 体重:88 ㎏
- 血液型:O型
- 好きな食べ物:チキン南蛮、カレー
- 趣味:漫画、カラオケ、スラムダンク
- 好きな女性のタイプ:佐々木希・川口春菜(理想高っ)
比江島慎選手は福岡県で生まれ育ち、高校の時に京都のバスケ名門・洛南高校へ進学されています。
福岡の強豪校にも複数校から呼ばれていたそうですが、その高校で「自分が試合に出られる気がしない」と感じたのと、
洛南高校の文武両道なところに惹かれて、この高校へ進むことを選ばれたそうです☝
比江島慎は母子家庭で育った
そんな比江島選手ですが、家庭環境は少し複雑だったようで…
幼い頃に、離婚または死別されたため母子家庭で育っています。
比江島慎の家族構成
比江島慎選手の家族構成は、
比江島選手と兄と母の3人家族
でした。
お兄さんの章(あきら)さんとは3歳差で、一緒に映っているのは、母方の祖母だと思われます。
比江島慎の親子の感動エピソード5選!
さっそく比江島慎選手の親子の感動エピソードを5つご紹介したいと思います。
- 比江島慎の母親は超厳しい人だった
- 比江島慎にとって母親は"太陽みたいな存在"
- 比江島慎の兄弟愛
- 比江島慎のために会社を設立
- 比江島慎の亡き母へ涙のスピーチ
それでは一つずつ、見ていきましょう👀
①比江島慎の母親は超厳しい人だった
比江島慎選手によると、母親の淳子さんはかなり厳しい人だったようです。
家のお手伝いをしないと、ご飯を食べさせてもらえなかったんだとか…
母の淳子さんは、清掃業をして朝から夜遅くまで働きづめで家計を支え、兄弟2人を育てていらっしゃいました。
そのため、疲れて帰ってくるお母さんのために、ご飯以外のことは兄弟で分担して行っていたようです。
こうして厳しく育てられたことで、「当たり前のことなんてない」という生活力も身についたでしょうね💡
また、比江島兄弟をミニバスに通わせるために、寝る間も惜しんで働き続けたお母さんの愛情に泣けます。
②比江島慎にとって母親は"太陽みたいな存在"
まず一つ目、比江島慎選手の母親は太陽みたいな存在だったというエピソードです。
比江島慎選手は過去にインタビューで、お母さんについてこのように語っています。
「いつでも僕たち兄弟を照らしてくれる、太陽みたいな存在でした。性格が僕と真反対で明るい人でした。めちゃくちゃ大好きでした」
自分の母親のことをこんな風に素直に語れるとは、本当に心の底からお母さんのことが大好きだったんだなと感じますね。
そんな比江島慎選手のお母さんは、
「とにかく何でも人のためにやっていました。人のためならもう、自分を削ってでも…」
だったそうです。
①のエピソードでもご紹介したように、我が子には厳しい人でありながらも、
人(家族)のためなら自分を犠牲にする、本当に思いやりのあるお母さんだったんですね💡
そんなお母さんを見て育ったから、自分も周囲を気遣うところがあると比江島慎選手も言っています。
③比江島慎の兄弟愛
そして、比江島慎選手の家族は兄弟愛もすごいんです。
比江島選手がバスケットを始めたのは、兄(章さん)の影響でした。
同じミニバス「古賀ブレイス」へ加入し、練習がない日は兄弟でバスケットゴールがある公園まで行って、暗くなるまで1対1を続けていたとか…
そんな比江島選手は、中学生になる頃には兄(章さん)の身長を抜いていました。
「弟への嫉妬」が原因で、一時期不仲説もささやかれていましたが、実は母・淳子さんと一緒によく試合を見に行っていたそうです☝
比江島選手が中学生の頃には、校区外の強豪校に通うために家族で引っ越したりと
家族みんなで比江島選手のことを全力でバックアップする家族愛・兄弟愛が強い家族だったんですね^^
④比江島慎のために会社を設立
比江島慎選手の母・淳子さんは、比江島選手のために2013年に会社を設立しています。
これまで、どんなに忙しくても、大事な試合の日には仕事を休んで毎回駆けつけてくれたというお母さん。
その献身的なサポートの甲斐あって、比江島選手は大学卒業後、
アイシンシーホース三河(現:シーホース三河)に入団→日本代表に初選出されます。
そして、母・淳子さんは、コンサルティングマネジメント会社「ステラリアン・バスケットボール株式会社」を設立します。
- スケジュール調整やグッズ販売
- オンラインサロンの運営
- イベントの企画など選手のトータルサポート
を行う会社で、比江島選手の海外挑戦の夢を叶えるべく設立された会社です。
息子のために会社まで設立するなんて、愛情深いのね…
その後、兄(章さん)が事業を引き継いでおられます。※現在は閉業。
そして、2018年ついに親子で長年の夢だった海外挑戦の夢が叶います。NBL(海外リーグ)オーストラリアへの移籍が決定したのです。
しかし、残念ながら決定したのは、母・淳子さんが急逝した後のことでした…
⑤比江島慎の亡き母へ涙のスピーチ
2018年4月に急逝した母・淳子さん。57歳という若さでした。
比江島慎選手の母に関する記事はこちら
お母さんが亡くなったその年に、初めてBリーグでMVPを受賞した比江島慎選手。
その受賞時のスピ―チが泣けます。
このころめちゃくちゃシーホースにハマってて毎週のように比江島みてた
— いちご (@15chan898989n) September 3, 2023
ある日、比江島が来てない日があってその後お母さんが亡くなったと知った
このインタビューは本当に泣けたな
お母さん、絶対天国から見てるよね
pic.twitter.com/glz7D6WShI
母・淳子さんを想って、おもわず涙する比江島慎選手にもらい泣きしてしまいますね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、比江島慎は母子家庭だった!親子の5つの感動エピソードがやばい!と題して、まとめました。
母・淳子さんの人柄や比江島慎選手の家族愛がよく感じられるエピソードでしたね☝
最後までご覧いただきありがとうございました!
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